4月21日

 

 昨夜みた夢について覚書

 

 昨夜、ながいながい夢をみた。起きると同時にほとんどのことは忘れてしまった。夢の中で僕は中学生だった。今では絶縁してしまった古い友人たちと代わり映えのしない数日間を過ごした。夢の最後で誰かが詩を朗読しはじめた。

 

『愛は雪のよう 火照るほどに消えてしまう 愛はアイスクリーム あつくなければ欲しがらない 君を好くほど溶けていく……』

 

 目が覚めてると時刻は11時、部屋の中を陽光が満たし、ほんの少し暑かった。

 

 

 貧しさについての覚書

 

デカルトの「我思う故に我あり」について)『「私は思考する」は時間を触発し、時間の中で変化し、一瞬ごとに意識のある度合いを呈示する、そんな自己の実在のみを規定する』(ジル・ドゥルーズ 『カント哲学を要約してくれる四つの詩的表現について』)

 

 1日、また1日と過ぎていく時間がとても重く感じる。給料日まであと2週間もある。その間は1日2000円も使えない。貯金もないのだ。禁欲的にならざるを得ない。

 

 いつからこのような貧しい日々が始まったのだろう。大金を使った記憶はない。人と交流することもない。考えてみれば、ずっと貧しかったのかもしれない。気づかなかっただけなのではないか。そのように記憶を疑ったところで真実を知る由もないのだが。

 

 今の自分にできることはたった一つのこと。今月が終わって給料が支給されるそのときまで待つことのみだ。その先の暮らしがどうなるかなんて知ったことではない。カフカの『断食芸人』のように、この貧しさを耐え忍ぶこと、それが今日を生きる目的になりつつある。

 

 貧しくなればなるほど、僕は自分が現在生きているという事実について強く認識する。