3月29日
丸一日を部屋から一歩も出ずに過ごした。誰ともコミュニケーションを取らずにいると気分が陰気になる。だけど、金もないし、明日は友だちから頼まれたレコーディングのサポートの用事がある。外に出かけて金と時間を浪費するよりかは(同様に時間を無駄にするにせよ)、弾きたいときにギターが弾ける空間にいた方がいい。そんなことを考えつつも、ろくにギターに触れぬまま、気づけば日も暮れていた。
このブログを書いている今、自分が誰に向けて何を書こうとしているのか、それさえも決めていない。何かについて語りたいという気持ちでもない。それでも言葉がふつふつと浮かんでくる。不思議になるほど、穏やかな気分だ。
この感覚に身を委ねて、自分の思うままに言葉を連ねるにしよう。
日記について
去年の9月からスマホの中で日記を書いている。毎日続けていたわけではなく、気が向いた時だけ書いていた。それでも、その数は70近くなっている。日付を確認すると最初の日記から半年が経過している。時間の早さに驚く。
11/23 18:21
「まるで時限爆弾のようだ。僕はいずれ壊れてしまうだろう。彼女のことで」
日記は、ほとんどが元カノや現在恋い焦がれている人について、また憂鬱や屈託について記されている。こうしてみると、自分が記したはずの言葉が赤の他人のように思えてくる。奇妙だ。11月23日、本当に自分は「壊れ」そうだったのだろう。だが、今では何故それほど悩んでいたのかを思い出せないし、日記の文面を見ても察することができない。事実、あれから数ヶ月たった現在、未だ「壊れ」てはいない。
不意に、こうしてブログを書いている自分でさえ、本当に自分であるのかという疑問が浮かぶ。今書いているのは間違いなく自分であるにせよ、先の日記のように数ヶ月もすれば、この言葉もパーソナルな領域から離れてしまうだろう。
言葉は、産み落とされるもの。記号として形を与えられた瞬間に、すでにそれは感覚としては死んでいる。
3月21日
数時間の散歩の後、駒沢公園で足を休めることにした。それまでに考えていた多くのことをブログに書こうと思ったのだ。ベンチに座り、いざ書き始めようとすると言葉がまとまらない。終いには考えていたことさえ、うまく思い出せなくなった。
ひとりぼんやりと考える時間、とりとめのない考えや妄想が浮かんでは消えていく。何か唐突に胸を打つような瞬間が訪れても、気づいた頃には、既に何を思っていたかなんて忘れてしまっている。とても儚く、時にせつない時間だ。
まるでジャズのインプロゼーションみたいだ。と、ふと思う。「楽しいセッションだったよ。ありがとう」先日初めて入ったジャズバーで、帰り際マスターがこう言っていた。会話をジャム・セッションに見立てたのだ。
なるほど、と今になって納得する。
音楽について
音楽には数学的な面白さがある。和音、旋律、リズム、どこをとっても音の高さや間の距離、長さなどである種の黄金率がある。
和音を例にとると明るい和音と暗い和音、不愉快な和音、キーが変わろうとそれらの音の高さの組み合わせは変わらない*1。和音を展開する仕組みにも同じように法則がある。これは説明しだすと小難しい話になるので詳細は省こう。明るい曲調はキーを変えても明るいし、暗い曲調はキーを変えても暗い。それは和音の距離にヒントがあるからだ(詳しくはWikipediaでポピュラー和声と検索してみよう)。
旋律もそうだ。明るい旋律と暗い旋律、世界で様々な種類の旋律があるけれど、それぞれ音の距離には規則性がある。また、和音と重ねたとき、響きに合う音あわない音が必ずある。合わない音はアボイドノートといって、和音の(数学的な)規則を破るとき、響きが悪く感じる。音痴な人がいるのはそのためだ。
リズムはというと、この動画を見てもらったほうがわかりやすいだろうか。
時計のようにループする円をテンポとすると、強拍、弱拍、その中間の拍の配置によってどんなリズムも再現できる。楽しい曲、優雅な曲、悲しい曲、苦しい曲、無論テンポも関係するけれど、人の心を掴むためにはビートがヒントになる。
しかし、世の中に数学で証明できない問いがあるように、音楽にもそれはある。例えば、黒人音楽特有のグルーヴ、民族音楽的な間の取り方だとか。ブルースは当時の西欧音楽ではタブーとされた和音進行が使われていたし、たしか中東かアフリカ、どこかの土地の音楽では不協和音であるはずがそう聞こえないという。チャーリー・パーカーやジミ・ヘンドリクスの神がかりな即興弾きは厳密には作譜できないらしい。楽器の特性や奏者の身体性で音楽は時にその法則を乗り越えてしまう。解き明かせない問いがあるからこそ数学が面白いのと同じで、解き明かせない素晴らしい音楽があるからこそ、それは楽しい。
*1:専門的な話はぬきにするが、例えば、明るい響きを持つ和音、ドミソもラド♯ミも主音1から長3度、長5度離れている。暗い響きの和音の場合、ドミ♭ソも、ラドミも、主音1から短3度、長5度離れている。