音楽について

 音楽には数学的な面白さがある。和音、旋律、リズム、どこをとっても音の高さや間の距離、長さなどである種の黄金率がある。

 和音を例にとると明るい和音と暗い和音、不愉快な和音、キーが変わろうとそれらの音の高さの組み合わせは変わらない*1。和音を展開する仕組みにも同じように法則がある。これは説明しだすと小難しい話になるので詳細は省こう。明るい曲調はキーを変えても明るいし、暗い曲調はキーを変えても暗い。それは和音の距離にヒントがあるからだ(詳しくはWikipediaでポピュラー和声と検索してみよう)。

 旋律もそうだ。明るい旋律と暗い旋律、世界で様々な種類の旋律があるけれど、それぞれ音の距離には規則性がある。また、和音と重ねたとき、響きに合う音あわない音が必ずある。合わない音はアボイドノートといって、和音の(数学的な)規則を破るとき、響きが悪く感じる。音痴な人がいるのはそのためだ。

 リズムはというと、この動画を見てもらったほうがわかりやすいだろうか。

https://youtu.be/2UphAzryVpY

 時計のようにループする円をテンポとすると、強拍、弱拍、その中間の拍の配置によってどんなリズムも再現できる。楽しい曲、優雅な曲、悲しい曲、苦しい曲、無論テンポも関係するけれど、人の心を掴むためにはビートがヒントになる。

 しかし、世の中に数学で証明できない問いがあるように、音楽にもそれはある。例えば、黒人音楽特有のグルーヴ、民族音楽的な間の取り方だとか。ブルースは当時の西欧音楽ではタブーとされた和音進行が使われていたし、たしか中東かアフリカ、どこかの土地の音楽では不協和音であるはずがそう聞こえないという。チャーリー・パーカージミ・ヘンドリクスの神がかりな即興弾きは厳密には作譜できないらしい。楽器の特性や奏者の身体性で音楽は時にその法則を乗り越えてしまう。解き明かせない問いがあるからこそ数学が面白いのと同じで、解き明かせない素晴らしい音楽があるからこそ、それは楽しい。

*1:専門的な話はぬきにするが、例えば、明るい響きを持つ和音、ドミソもラド♯ミも主音1から長3度、長5度離れている。暗い響きの和音の場合、ドミ♭ソも、ラドミも、主音1から短3度、長5度離れている。